何が違うんでしょう。
簡単な個人的なイメージですが
『あたなは幸せになれる』⇒スピリチュアル
『幸せ・不幸という概念を超越しろ』⇒宗教
というような気がしています。だから、スピリチュアルというものは簡単に商品になって市場に出回ります。
『瞑想によってあなたは幸せになれる』、『肉食を止めることによってあなたの人生がスムーズになる』、『占いによって天命を知ることで、あなたは幸せになれる』、『ワクワクすれば人生は上手く回りだす』
という口当たりの良い言葉と共に。
別に悪いとは全然思っていません。詐欺なら問題ですが、それによって本当に幸せになれるのなら何にも問題はないです。
ただ、宗教性とは方向性が真逆だよなぁ、やっぱり・・・と思うだけです。
もう少し突っ込んで考えてみたいと思います。独断と偏見に満ちているかもしれませんのでご了承ください。
スピリチュアルとはなんだろうか
わたしは、見えない霊的な力を借りてあなたが幸せになる方法を説く(売る)のがスピリチュアルだと思っています。
ゴールはあなたが「幸せになる」もしくは「自分らしい生き方ができる」です。
このゴールに到達するために道具(ツール)を使います。
それは、宗教とも関連する精神世界よりのツール(瞑想、ベジタリアン、ヨガ、占い、風水、ワクワク、etc…)です。
世の中にはこのツールを売っている人が非常に多いです。
人間は基本的に幸せになりたいのですから、そういったツールに簡単に飛びつきます。
なので、スピリチュアル市場という非常に大きな市場が形成されます。別に需要と供給があって市場が形成されるのですから、そこは何も問題ないです。
ただ、個人的にいつも疑問なのは、それって精神性とはほとんど無縁だよね?ってことです。
でも、普通スピリチュアルと聞くと高い精神性という印象を持ちがちです。
例えば、瞑想してます、ベジタリアンですって人に「なんて精神性が高い人なんでしょう」って思う人結構いるんじゃないかなって気がするんですよね。
そんな人に、おいおい、簡単に詐欺にひっかかるなよ?とわたしは老婆心ながら心配するわけです。
肉食してたり瞑想していなくたって、めちゃくちゃ精神性が高い人はいくらでもいます。(少なくともわたしよりは)
スピリチュアルで商売している人は、ただ道具(ツール)を売っているだけです。その人の精神性の高さと相関関係があるかはわかりません。
また、スピリチュアル的な実践とは「自分が幸せになる」or「自分らしい生き方をする」ために瞑想したりすることです。これって精神性の高さを表しますか??
どちらかといえば、「幸せに行きたい」、「本当の自分として生きたい」は人間の自然で普通な欲求である気がします。
だから、「自分が幸せになりたい」という理由で行う行為は、物質的であれ精神的であれ、自分の欲望を満たすだけの行為であって、瞑想やベジタリアンというのはそのためのただの道具(ツール)であるというくらいの認識が健全なんじゃないかなと思います。
宗教とはなんだろうか
宗教は、どんな宗教を信じたって「あたなは幸せになれる」なんて言いません。(全部の宗教がとは言えませんが・・・)
「幸せ」も「不幸」もただの心の作用であって、そんな心(思考)すら自分ではないぞとどこまでも自己放棄に向かわせるのが宗教です。
神様を信仰したり、修行したり色々な道があると思いますが、結局はいかに「自分という意識から離れるか」がキモになってくるのだと思います。
だから、自分が大事だと思うお金・異性を積極的に捨てていくことが推奨されているんですね。
自分幸せになりたい!とは真逆のプロセスです。
わたしも含めてほとんどの人間は、お金と異性に縛られて生きているので、本当の意味で宗教性を持って生きている人なんて人類の一握りしかいないと思います。
お金ないと生きていけないですもんね( ^ω^)・・・
宗教とビジネスはどこまでも相反しますから、宗教ビジネスには気を付けてください。
現代で宗教上の本物の師匠に巡り合える確率なんてほとんどないと思います。
だからわたしは世間の宗教とは距離をおいて宗教関連の書籍を読んでいるくらいで満足なのです。
わたしは、偽善がなにより嫌いなので、自分のことを精神的・宗教的な人間だとは絶対に言わないでおこうと思っています。
正々堂々としている悪人よりも偽善者の方が嫌いです。なんでだろう・・・
ということで、わたしは、ちょっと宗教に興味がある程度の物質的な人間です(^ω^)
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